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風俗の誕生や発展について

 

風俗

 

日本で風俗が誕生したのは古代と言われています。驚くことに当時の風俗嬢は「巫女」でした。巫女が全裸で踊るストリップが日本の風俗の始まりであると歴史書に記載されています。

 

時を経て奈良時代に入ると、遊行女婦と呼ばれる巫女が誕生します。遊行女婦は地方を転々としながら役人や旅人にご奉仕していました。宿で役人や旅人のお酒のお供をし、その夜床を共にしたと言い伝えられています。遊行女婦に支払われる対価は、現在の価格で10万円ほどでした。

 

平安時代に突入すると、遊行女婦たちは神社の近辺に風俗街を形成しました。地方を転々としていた彼女たちが、風俗街に居座るようになったのです。鎌倉時代に入ると、風俗街の規模はさらに大きくなります。

 

そして、室町時代には大きくなりすぎて無法地帯と化してしまいます。危機感をつのらせた室町幕府は、遊女(現在で言う風俗嬢)を管理することになります。ここではじめて風俗に税金を課すことになったのです。風俗がはじめて公的に認められたことになります。逆に税金を払わない遊女たちは、幕府の取り締まりを受けることになります。

 

江戸時代に入ると、公的風俗の規模はさらに増加します。有名な吉原遊郭が誕生したのもこの頃です。遊郭では多くの女性が幼少期から風俗嬢になるための基本を学びました。遊女にはランク分けがされており、最もレベルの高い嬢は「太夫」と呼ばれました。太夫と一夜を共にするには、なんと500万円もの大金が必要でした。それくらい太夫は高貴な存在だったのです。

 

太夫相手でなくても、遊郭で遊ぶには大金がかかるものだったので、一般庶民が遊郭に行くのは不可能でした。そんな中一般庶民でも楽しめる非認可の風俗店も登場します。この風俗店は瞬く間に勢力を拡大し、東京だけで190箇所もあったと言われています。

 

そして明治時代に入ると、全国で545箇所にまで風俗店は増加しました。遊女の数は5万人にまで膨れ上がりました。しかし、第二次世界大戦に入り、風俗の勢いは衰えます。

 

戦後になっても、風俗はなかなか復活の兆しを見せません。大阪の飛田新地や吉原など、限られた風俗店だけが細々と営業していました。しかも価格は20万円と、一般庶民が楽しむにはとても無理がありました。

 

さらに1958年に施工された売春防止法により、ほとんどの風俗店が廃業を余儀なくされました。職を失った風俗嬢は現在のソープランドに当たる「トルコ風呂」で働くことになります。トルコ風呂は違法であるため、度々摘発を受けましたが、勢力は日に日に増していきました。

 

当初は着衣姿の女性が手コキをするだけというサービス内容でしたが、中には本番行為OKの店も登場。1979年には全国で1450店舗も構えるようになったのです。時を同じくしてピンサロも登場しました。最初は手コキだけのサービスでしたが、こちらも本番行為OKの店が増えていきます。

 

1970〜1980年には「ニュー風俗」なるものが登場。これはノーパーン喫茶のことで、全盛期には全国で800店も存在することになります。ノーパン喫茶は気軽に行ける風俗というイメージがあったので、これを機に学生でも手軽に風俗店で働けるようになりました。これが現在の風俗に繋がるわけです。ノーパン喫茶の功績は偉大というわけですね。

 

このように風俗はさまざまな形を経て現在に至ります。最初はお金持ちしか利用できなかった風俗ですが、今では一般庶民でも楽しめるものになりました。今後風俗がどのように発展していくのか?はたまた衰退してしまうのか?目が離せませんね。

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